プラス・ワン・フットボール・マッチ出場予定 奥大介選手インタビュー
2008年05月30日 (インタビュー)

プラス・ワン・フットボール・マッチ出場予定 奥大介選手インタビュー

高校卒業後、ジュビロ磐田に入団。が、すぐには試合に出られなかった。

高校時代のことを教えてもらえますか?

17歳の頃から各年代の代表にずっと入っていました。神戸弘陵高校時代、2度程選手権にも出場しました。ベスト8が最高でしたかね。その時は、あの城彰二がいた鹿児島実業に負けたんです。彼とは実は同じ年なんです。

プロになったときのことを教えてください。

高校卒業後、ジュビロ磐田に入団しました。結局、8年間在籍しました。入団後、実は2年8ヶ月間、試合に出られなかったんです。2~3年目からやっとレギュラーに定着して。そのあとは、ずっと出させてもらいました。

今でも(個人的に)付き合いがある選手は?

名波さん(名波浩:ジュビロ磐田)かな。あと、西選手(西紀寛:ジュビロ磐田)や福西選手(福西崇史:東京ヴェルディ)。名波さんとは歳が3つ違いますが、めちゃめちゃ優しい先輩です。最後まで僕に『辞めるな!』って言ってくれました。マリノス(横浜F・マリノス)では、坂田(坂田大輔:横浜F・マリノス)とか栗原(栗原勇蔵:横浜F・マリノス)とか久保(久保竜彦:サンフレッチェ広島)ですかね。マリノスでは選手同士が余りつるまなかったですね。子供がいる人が多かったし。

ジュビロを移籍した理由は本当のところ何だったんですか?

やっぱり、3-5-2でサイドをやらされたのが決定的でした。その前の年の契約時、『試合は調子の良い人を使ってくれて当然構わないので、自分はボランチかトップ下で勝負させてくれ』っていう話をしていて、それで合意したんですけど、結局サイドでずっと使われてしまって。で、もう自分の役割は果たしたと思って、1stステージで優勝した後すぐに移籍の旨を伝えたんです。

自分の役割は終わった。マリノスに移籍することを決意

奥大介

マリノスは、何年間在籍したのですか?

合計5年です。岡田監督(岡田武史:日本代表監督)時代、ずっと居ました。

マスコミの今の論調も含め、岡田監督をどう見ていますか?

岡田監督がいらした年は凄い攻撃的なサッカーをしていたんですけど、3~4年目になって負け込んでたときに、とにかくボールを前に放り込んで、向こうの陣地にボールがあれば失点する確率が低いという「失点しないサッカー」スタイルになってきましたね。

横浜FCへ移籍を決意。だが、自分自身のパフォーマンスに納得が出来なかった。そして、現役引退を発表。

横浜FCへ移籍したときのことを聞かせてもらえますか?

マリノスで再契約の話はあったんですけど、横浜FCが一番最初に自分を選手として評価してくださったので。ちょうど、横浜FCがJ2からJ1 へ上がったときでしたし、僕も心機一転出来るかな、と思いました。なので、最初の一年で、もし自分が納得出来ない試合をしたら辞める事も辞さない、という気持ちで開幕からいきました。

結果、J2に降格してしまいましたが、

やっぱり、いいパフォーマンスじゃなかった、と。どうしても自分自身に納得出来ませんでした。なので、降格が決まった一週間後にクラブ関係者とお会いして、謝罪の気持ちを誠実に伝えたかったので、(球団でも何でも)お金は要らないからタダで(自分を)使ってくれ、とお話しました。

まだ十分ご自身でもやれると思っていたと思うのですが、実際には引退を決意されました。もう少し詳しく聞かせもらえませんか?

せっかく評価してもらって横浜FCに来たのに、評価された部分が結果出来なかったことに尽きます。やっぱり、チームの力になれていなかったと思います。

J2降格は決して奥さんだけの責任ではないと思います。ご自身でもわかっているはずですが。

だけど、自分は優勝経験が人より多かったのは事実ですし、そういう期待はチームも他の選手もあったと思うんですよ。それはわかっていたし。やっぱり、プレーでチームを引っ張って行けなかったら駄目なんだと思っていましたから。そういう思いで1シーズンが実際終わって、結果それが出来ていなかったわけですから。

カズさん(三浦知良:横浜FC)には、引退の件は相談されたんですか?

奥大介

カズさんからは「J2だけど、やるんだったら頑張って、一緒にやろうぜ」みたいな感じで言ってくれました。実際、響きました。けど、やっぱり、自分の考えた「辞める」という気持ちの方が強かったです。

ご家族とも相談したんですよね?

いや、実は、言わなかったんです。親にも言わなかったんです(笑)。多分、もう、マスコミとかに出てるなと思って。新聞にも恐らく出ているだろうから、向こうから電話がくるだろうと思ってました(笑)。今となっては親から『お前、職があって良かったな』って言われたり、、、。そういう感じですか(笑)。

子供たちにサッカーを教える仕事を選択。もう、現役に未練はない。サテライトのコーチになることを目指す。

今は、どういう生活をされているんですか?

引退して5ヶ月が経ちましたが、子供達にサッカーを教えることは凄く楽しいです。けど、拘束時間が長いので、集中力っていう部分では疲れます。実は、着任してすぐ風邪をひいてしまいました(笑)。選手時代と比べると沢山の人達と出会うようになって、最初はとにかく名前を覚えようと思って、結果覚えられなくて、それがストレスになりました。けど、今はもう本当に楽しいです。最近、帰宅が夜の11時半とかで、缶ビールを2、3本買って、嫁さんにおかずを作ってもらって、最後はご飯と味噌汁みたいな。で、もう、バタンですよ(笑)。あと、満員電車が今一番キツイです、何気に(笑)。

お酒は呑むんですね。

好きですよ、ビールしか呑めないですけど。現役のときと比べれば、量は減りました。汗をかく量が少ないせいか、すぐ潰れるようになりました(笑)。

奥大介

電車通勤中、声をかけられたりしませんか?

ありますよ。この前も、電車を降りる時にいきなり知らない人から名刺を渡されて、「奥さんですよね?一度連絡下さい!」って(笑)。あぁ、こういうのもこれからあるんだな、と。先日、札幌に行った時もそうでした。「コンサドーレの試合の帰りですか?」って。「いや、もう辞めました」みたいな(笑)。「じゃあ、プライベートですか?」「いや、仕事です!」って(笑)。

そういうのって、恥ずかしかったり、結構嫌なものじゃないですか?

いや、僕は全然平気なんです。話しかけられたら、普通に対応しちゃうんです。さっきの名刺の一件も電車から降りたあと、自分も名刺を渡したほうが、、、いや、やっぱり、止めておこう、みたいな(笑)。

今は教える立場となったわけですが、どんなことが仕事をする上で楽しいと感じますか?

指導したことを生徒が次にやって実際に出来るようになっている時ですかね。サッカーにあまり興味がなくて来ている子もいるんですが、そういう子供達にどうやって興味を持たせたり、楽しさを伝えようかとか、そういうのも難しいですけど、楽しいです。

人をやる気にさせるって、難しいですよね。

そうですね。そういう意味では今のポルトガル代表を率いるフェリペ監督(ルイス・フェリペ・スコラーリ:ポルトガル代表監督)が印象に残ってます。実はかなり適当な人なんですが(笑)、選手のやる気を出させることにかけては本当に凄い監督でした。僕達は試合に勝てばお金が貰えるわけですが、試合前に監督が僕達に『お前ら!お金欲しいだろ!ピッチに落ちてるぞ!絶対に拾って来い!』って。シンプルなんですけど、それで皆「オー!やるぞー!」ってテンションが上がっちゃっうんですよね(笑)。

フェリペ監督って、どういう監督なんですか?

とにかく各選手に与える役割が明確で簡単なんです。ハーフラインより前にいて、守備はしなくていいって、はっきり皆の前で僕に言うんですよ。あと、『(守勢にまわっても自陣まで)追っかけてこなくていい!ペナルティエリアに入ったらドリブルで全部仕掛けろ、ドリブルでちょっと引っかかったりしたら、大袈裟に倒れろ』と。実際、その年のリーグ戦で優勝しましたし。今思うと、僕は、フェリペに見い出されたんですよね。

スクール事業も含め、今後のことを聞かせてください。

「奥大介」と言う商品を使って日本全国をまわりたいです。特にJクラブが無い地域に行きたいです。実際今は指導者を目指してやっていますので。そういう意味では「奥サッカークリニック」のスポンサーになって下さるような企業とも出会いたいです。それと、将来はサテライトで指導者をしたいと思っています。僕がジュビロで試合に出れなかった時にサテライトのコーチの人にボールのもらい方やパスの出し方など基本的なことを色々教えてもらって、その修行みたいなことがあって、凄く自分自身が成長したと実感した経験があるんです。福西も鈴木ひでさん(鈴木秀人:ジュビロ磐田)とか田中さん(田中誠:ジュビロ磐田)とかも、みんなその修行があって今の彼らがあると思うんです。ジュビロ全盛期のパス回しやボールの支配率って、3年間のあのサテライトでの修行がそうしたんですよね。実際それで皆レギュラーになりましたし、優勝もしましたし。だから、将来、コーチになったらサテライトで教えたいと思っています。

アフリカにいるヒデ(中田英寿)から国際電話で『+1 FOOTBALL MATCH(プラス・ワン・フットボール・マッチ)』に出場を依頼される。

奥大介

ところで、奥さんの好きな選手は誰?

ルイ・コスタ(マヌエル・ルイ・コスタ:ベンフィカ)です。姿勢がいいですね、ドリブルの。パスも狙っているし、ドリブルで運べるし。

日本人選手が海外に移籍することをどう思われます?

僕も行きたいと思っていた時期がありました。21歳頃だったかな。南米に行きたかったです。だから、まず、トライする気持ちは常に持つべきだと思います。やっぱり、レベルはJリーグよりずっと高いと思いますし、行って損することはないと思います。

今回のプラスワン、どういう経緯で依頼が着たんですか?

いきなり海外から電話がかかってきて、代理人のロベルトさんだと思って出たら、ヒデ(中田英寿)でした。唐突にチャリティーマッチやるから出てよ、って。で、また詳細送るから頼むよ、って。それで、何処におんねん?(関西弁)って聞いたら、今、コンゴって。びっくりしましたわ。

会いたい人って、いますか?

モウリーニョ(ジョゼ・モウリーニョ:プラス・ワン・フットボール・マッチ WORLD STARS 監督)です。未だ僕も実は誰が来るか知らされていないのですが、世界のスーパースターが来るって皆騒いでますよね。でも、僕はモウリーニョ元監督に一番会ってみたいんです!

監督は、たしか、釜本さん(釜本邦茂)?

そうです、あの、釜本さんです。めちゃめちゃ怖いんですけど、実は凄くいい人なんですよ。実際、メンバーや戦略は釜本さんと山本昌邦(コーチ)さんが決めると思うんですけど、出るからには、あの中では僕は動けるほうだと思うので、それなりに頑張ります。

横浜FCに今思うこと。

横浜FCの今後の闘い方について個人的な意見を聞かせてください

やっぱり、システムは4-4-2がいいかな、と思います。まぁ、アーセナル(アーセナルFC)が好きなんで(笑)。アンデルソン(アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス:横浜FC)とかのターゲットマンを敢えて使わずに。特別にギューンと速い人がいないじゃないですか。だから、しっかりやっていって、最後に崩せるようになればいいかな、って思います。で、最後はアンデルソンがサイドからクロスをあげて、皆で飛び込むと。今はJ2ですし、戦い方は色々とあると思います。

横浜FCに今伝えたいこと

1クール終わった時に、どういう試合でどう終わったかをちゃんと振り返って欲しいかな、と思います。監督の意向を確認する場を持って進めてほしいと思います。で、その結果、皆の方向性が一緒になればいいですよね。強いチームは、選手のみで勝手に集まってミーティングとかをするもんです。ジュビロもそうでしたし。いい試合の時も悪い試合の時も、絶対に選手で集まるのが半ば習慣になっていましたからね。

奥大介(おくだいすけ)

奥大介

■生年月日:1976年2月7 日
■身長/体重:173cm/68kg
■出身地:兵庫県尼崎市出身
■チーム歴:神戸弘陵高等学校→ジュビロ磐田→横浜Fマリノス→横浜FC
■Jリーグ:通算 280試合62得点、カップ戦56試合8得点、天皇杯23試合3得点
■代表歴:国際Aマッチ26試合出場2得点
■所属:株式会社フィートエンターテイメント サッカースクール事業部

+1FOOTBALL MATCH(プラス・ワン・フットボール・マッチ)

世界共通言語であるサッカーを媒介に、サッカー選手たちが、自分たちのできる『+1(プラス・ワン)』として実施。人々の注目を集めるサッカーの試合を開催することで、多くの人に「なにかできること、ひとつ。」を考えるきっかけを提供します。

開催日時

2008年6月7日(土) 14:00より

会場

日産スタジアム(横浜)

対戦カード

JAPAN STARS vs. WORLD STARS

チーム監督

JAPAN STARS ・・・ 釜本邦茂(元日本代表)
WORLD STARS ・・・ ジョゼ・モウリーニョ(前チェルシーFC監督)

オフィシャルサイト

+1FOOTBALL MATCH(プラス・ワン・フットボール・マッチ)オフィシャルサイト


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