海外移籍の仕掛け人が語る、日本人選手の海外移籍ホントの話
2007年12月01日 (インタビュー)

サッカーエージェント:ケン若月 インタビュー

ケン若月

まず、若月様のこれまでの簡単なプロフィールを教えて下さい。

生まれは東京だったのですが、両親の仕事の関係で1歳の時にはイタリアにいました。そもそも東京で生まれたのも病院がしっかりしている日本で出産したいという両親の意向があっただけなのですが。ローマからすぐにドイツに引っ越しました。フランクフルトです。その後、高校を卒業するまではずっとフランクフルトにいました。フランクフルトの現地校へ通って、高校からインターナショナルスクールに通っていたのですが、その時に日本の大学に興味を持ちまして、上智大学へ入学し、卒業しました。

じゃあ、大学進学までは全然日本との接点はなかったのですね。

正直、その時まで日本には旅行で何回か遊びで行ったぐらいです。両親が日本語をちゃんと出来るようになってもらいたいという気持ちがあったみたいで、日本の大学に入学したようなものです。

卒業後は?

最初に就職したのはドイツのコンサルティング会社です。その会社に入社すると1年間ドイツの本社で勉強できて、その後日本で新規プロジェクトを立ち上げる、というプランがあったからです。要するに、ドイツに帰れると(笑)。

やはり育ったドイツに戻りたい、という気持ちが強かったのですね。

その時はそうでしたね。でも、1年間ドイツでやってみて思ったのです。向いてないな、この仕事って(笑)。ちなみに、その1年間僕がドイツで何をやっていたかと言うと、ひたすらサッカーを観ていたのです。もともとサッカーが大好きだったっていうのはあったのですが、日本で長く暮らしていたせいで愛するブンデスリーガを観られる機会が減っていたので、その反動というか、溜まっていたサッカーへの思いが爆発しちゃったのです。毎週毎週試合を見て、運営スタッフ等関係者にいろいろな話を聞くうちに、サッカーを仕事にできたらいいな、と思うようになりました。

で、ドイツのコンサルティング会社を辞めてしまったのですか?

いえ、そのあと仕事上の理由で日本に戻り1年間は頑張ってみたのですけど、立ち上げるといっていたプロジェクトもいつまで経っても進まないし、もう、そのうち気持ちは冷めてしまいました。そして、ちょうどその期間に「日韓ワールドカップ」があったのです。ドイツのテレビ局のコーディネーターとしてドイツ代表の担当をやらせてもらっていたのです。で、サッカーの仕事がドンドン忙しくなってきたため、そこで会社を辞めることにしました。

それで、次に代理人を目指したのですか?

いえ、退職後、一旦はダイムラークライスラー社に就職しました。これを機にサッカーの仕事を始めようとも思ったのですが、ダイムラークライスラー社はサッカーの仕事が忙しくなるのはワールドカップの期間だけだろうし、日韓ワールドカップが終わるまで待っているからウチに来て欲しい、と言ってくれて。僕もその通りだし、そこまで言っていただけるのであれば…と思いまして。いつかはサッカーの仕事をしたいという気持ちはずっとあったのですが、その後4年ほどはそこでお世話になりました。しかし、またしてもドイツワールドカップというイベントがやってきてしまったのです(笑)。そうなるとまたサッカーの仕事が忙しくなってきて、これからワールドカップの度に会社に迷惑をかけるわけにもいかないと思い、代理人のライセンスも取っていたので、会社も辞めてサッカービジネスの会社を立ち上げ、独立したのでドイツワールドカップではテレビ朝日さんのコーディネートをしました。そして今に至っている、という感じですね。

代理人の仕事の仕組みについて教えてください。

海外の場合は、いい選手を探しているクラブに対して、求めていそうな選手を紹介して、その選手やクラブに代わって移籍の交渉をします。選手、現在所属のチーム、移籍先候補チームの間をとりもつ仕事といったところですか。お金は、移籍交渉が成立した場合に限って決定した選手の年俸の何%を移籍先のクラブか選手から頂くという仕組みになっています。ちなみに、FIFAの規定では、年俸の5%×契約年数がエージェントの最低報酬金額と定めてあります。但し、日本の場合は、年俸の10%位が相場になっているとは思います。

代理人になるにはどうしたらいいのでしょうか?

まず、テストを受けてライセンスを取る必要があります。中には資格を持たない代理人も欧州等にはいます。日本で代理人をやろうと思ったら、まずJFA(日本サッカー協会)のテストをパスしなければなりません。テストを作るのは主にFIFAなのですが、テストを実施するのはJFAなのです。僕にとってJFAのテストは難しかったです。育ちがドイツですから日本語があまり得意じゃないのですよね。合格率は低いとはいえ、テスト自体はそれほど難しくないのですけどね。でも、とにかく問題が全部日本語なのでそっちが問題でした。知らない漢字が1文字でもあったら、もう問題の意味が分からなくなってしまうので、終わりです。だから、恥ずかしい話、2回も落ちました。3回目は僕が29歳の時でしたが、FIFAでも受けられる制度だったので英語で出来るスイスのFIFA本社で受けまして、合格しました。

どこの国でライセンスをとってもライセンスは同じなのですか?

同じです。本来ライセンス発行はFIFAが管理していたのですが、代理人の数が増えてきて、各国のサッカー協会で現在は分担しているといった感じです。どこの国で受けても言語が変わるだけで、テストの海外移籍に関しての問題自体は一緒なのです。

ちなみに、現在日本ではFIFA公認の代理人は何人くらいいるのですか?

今のところ20人位です。イタリアで430人、スペインでは424人と聞いています。ただ、ライセンスを持っていない非公認の代理人を含めると、こんなもんではないでしょうね。日本が如何に遅れているか、或いは如何に代理人が必要とされているかがわかりますよね。

FIFA公認のエージェントであることの証となるライセンス

FIFA公認のエージェントであることの証となるライセンスの実物。
これをもっている公式な日本人エージェントはまだ20人程度しかいないという。

お話いただける範囲で構わないのですが、これまでまとめた契約をご紹介していただけますか。

僕の初仕事でもあったのですが、アレックス三都主選手の浦和レッズからザルツブルグ(オーストリア)への移籍です。実は最初、僕は他の選手をザルツブルグに売り込んでいたのですが、その選手には興味がないと言われました。しかし、ザルツブルグは左サイドに問題を抱えていて日本の三都主に興味があるということになって。それで、三都主選手に関するいろいろな情報を聞きだしてきて欲しい、とお願いされたのです。

三都主選手とはそれ以前からずっとコンタクトを取っていたのですか?

いえ、お会いしたこともありませんでした。僕は、ザルツブルグにコンタクトがあったので。なので条件を聞いて欲しいといわれても雲をつかむような話でした。で、早速、インターネットで三都主選手の代理人の連絡先を調べました。それで、すぐに連絡しました。実は、最初は余り興味がない様子だったのです。というのも、三都主選手は海外へ挑戦したいという気持ちは以前から持っていたものの、オーストリアのプロサッカーリーグについては、どうしてもイメージすらわかなかったみたいなのです。日本では、あまりメジャーなリーグではありませんし。それでオーストリアリーグの試合のDVD等を送って見てもらったところ、中々レベルも高く観客も集まっているリーグと思っていただいたのです。ザルツブルグ側もすごく熱心でして、GMがわざわざ来日して試合観戦したり、当時レッズの監督だったブッフバルト氏とも直接話しをしたりしていましたから。その頃から三都主選手自身も移籍に前向きになってはきたのですが、イングランドのプレミアリーグでやってみたいという気持ちがどうしてもあったみたいで、決めかねていたのです。僕もザルツブルグのGMから「三都主選手はどうなった?」という電話を毎日受けていましたから、プレッシャーもありました。なので、デッドラインを設けて、この日までに返事をもらえなかったらこの話は無かったことにする、という日ですね。で、そのデッドラインの当日、僕がGMやトラパットーニ監督の思いを三都主選手に改めて伝えた後、帰る途中に彼の代理人から電話がかかってきて「行きます!」という返事をいただけました。最終的に移籍を決めた大きな要因は、ザルツブルグがチャンピオンズリーグを目指すチームだということ、そして、GMやトラパットーニ監督が本当に熱意を持って誘ってくれたことだったようです。また、家族を含めた受け入れ体制やザルツブルグの街の雰囲気も大きかったみたいです。契約書に印鑑が押されたときは、本当にうれしかったですね。

ドラマですね

交渉成立まで3ヶ月間かかりました。個人的には、契約書を日本語・ドイツ語・英語それぞれの言語に作成され、細かい契約内容が決まるまで、しんどかったですけどね(笑)。

代理人にとって、クラブとの関係は非常に大事なものだということがわかりましたが、代理人にとっての仕事のポイントとなることは、どういう点だと思われますか?

そうですね。移籍の場合は、どのクラブがどんな選手を求めているかっていう情報をキャッチ出来るネットワークはもの凄く重要なことです。僕の場合だと生まれ育ったドイツのブンデスリーガの各クラブには殆んどコンタクトがあります。もともとドイツでの暮らしが長かったというのもありますが、根気強く通い続けて関係を築きましたから。結局、それがあって初めて具体的な仕事に移れますよね。あと、海外の場合は、言葉ですね。言語はもちろんですが、その国の文化や環境がわかるというのは強みになると思います。海外移籍した後、環境が激変してショックを受ける選手も多いですから、そのあたりは必ずサポートの必要が出てきますから。

フランス2部のグルノーブルでプレーする伊藤選手のように若いうちから海外に挑戦する日本人が今後増えてきそうですが、この流れについて、どう思っていらっしゃいますか?

選手にとっても日本サッカー全体にとっても、非常にいいことだと思います。若くて伸びシロのあるうちから欧州に出て行って、フィジカルの強靭さが必要なサッカーを体感出来ることは重要かと思います。また、一方で、もしJリーグのチームと契約すると、その後海外移籍をしたくてもこの場合ですと移籍金が発生してしまうため、獲得の意向がある欧州のクラブ側からすると移籍金が獲得する上でネックとなってしまいますから。やはり、先が見えない可能性のある日本の若者に何億円も投じることは相当な勇気が必要です。FC東京の平山選手もオランダのヘラクレスでかなりの活躍をしましたし、間違いなく彼にとっていい経験になったと思いますよ。特に最近の若いカテゴリーの日本代表選手は世界レベルの大会でかなりの結果を実際に残していますから、海外からの評価も実は凄く高いのです。だから、若い選手は本当にチャンスだと思ってほしいですね。

インタビュー中の若月氏。

インタビュー中の若月氏。
日本の若武者はどんどん海外で経験を積むべきで、その土壌もできてきていると語る。

実際にヨーロッパでプレーしてみたいという日本人選手は非常に多いと思うのですが、正直なところ、ヨーロッパ各国では日本人選手をどう評価しているのでしょうか。

少なくともブンデスリーガでは余り高く評価されているとは言えません。高原選手や稲本選手の活躍は当然評価されていますが、それこそ今Jリーグでプレーしている選手については「?」と言ったところでしょうか。ドイツのワールドカップでの日本代表の戦いがあまりよくなかったので、それもあるとは思います。

やはりワールドカップでの代表選手の試合結果は、日本人プレイヤーの海外移籍に与える影響は大きいのですね。

ええ。あと、コンフェデレーションズカップやヨーロッパで行われる親善試合なんかも凄く重要です。ドイツのワールドカップ開催直前に日本代表がドイツ代表と引き分けた後は、いろいろなクラブから私に問い合わせが実際来ました。「この3選手の移籍条件を聞いておいてくれ」と3人もの選手名を言ってきたクラブもありましたから。ドイツワールドカップで躍進したメキシコ代表の選手なんかは、すぐに各クラブの獲得候補リストに名前が挙がっていましたよ。だから、代表の試合って、海外移籍には非常に大きな要因になるのです。

アジアカップは、どうですか?

殆んど欧州では注目されていない、と思っていただいていいでしょう。というのも、クラブのスカウトはやはり自分の目で選手のプレーを見て判断しますから、試合会場が遠いというだけで相当不利です。昔は目当ての選手のDVDだけで判断することもあったのですが、最近は直接見て判断するクラブが殆どです。だから、それだけでも日本人選手はアピールする場が限定されますよね。僕たち代理人としても、「是非この選手を見にきて下さい!」とクラブにお願いするとき、その場所が日本となると、正直言いづらい部分はあります。逆にそれがヨーロッパの近い国だったりすると、意外と簡単に来てもらえたりするのです。

今のJリーグにブンデスリーガで活躍できそうな選手はいますか?

あくまで僕の意見ですが、4人か5人位はいるでしょうね。2部リーグであれば、もっとです。僕の知る限りでは、現時点でブンデスリーガのクラブが日本人選手の獲得に動いている、という話はありません。ただ、ドイツにはスピードとテクニックが売りの選手は面白い存在ですよ。僕は高校生の試合をよく見に行きますが、日本人のスピードとテクニックはその世代の世界レベルで見ても中々のものがあります。だからこそ、若いうちから欧州に挑戦してもらいたいですね。ただ、一方でメンタリティの部分では、物足りないものがあるのも事実です。若手の将来有望な日本人選手をブンデスリーガのクラブの二軍トライアウトに連れて行ったことがあるのですが、ハングリー精神に欠けていたような気がします。同じトライアウトに参加していたアフリカや南米の選手の気迫は、すさまじいものがありましたから。「ここでだめでも、Jリーグがあるからいいや」という選手と「このトライアウトに人生の全てがかかっている」という選手が同じ気迫を出せるわけがありませんからね。そういう意味では、もっと日本の選手にはハングリーになって欲しいと思っています。

日本人選手が海外に移籍する際、プレミアリーグやセリエAといったメジャーなリーグではなく、それこそオーストリアのような日本人からするとその下のようなリーグに移籍することについてどう思いますか?

これは、凄くいいことだと思います。やはり、いきなりメジャーリーグでプレーするとサッカーのレベルそのものはもちろん、ブンデスリーガではフィジカル、イングランドプレミアリーグではスピードであったりとそれぞれ違う特徴があったりしますので、戸惑うことが多くなると思います。だから、ステップアップの場として、例えばオーストリアやデンマークといったリーグに挑戦することは合理的ですし、重要なことだと思います。実際に稲本選手なんかはビッグクラブに在籍したことは活躍が難しかったですが、今いるクラブでは、ホント、中心選手として活躍していますよね。

日本人選手にとってどんなリーグであっても、ヨーロッパへの移籍はやはり魅力的ですよね。

スポーツ選手にとって高いレベルでプレーしたいというのは、自然な感情です。それに、チャンピオンズリーグの舞台に立ちたいと思わないサッカー選手は、この世に一人もいないでしょう。あとは、単純に給料もいいですからね。選手が上を目指すのは当然のことです。

若月さんにとって、代理人お仕事の喜びはどういったところに感じていますか?

自分が契約に携わった選手が新天地で活躍することに尽きます。そういった意味では、三都主選手は今は守備意識の強い監督の戦術にマッチしていないようで、思ったような活躍ができていないのが歯がゆいです。最近では放映権やユニフォーム等の売上を見込んだマーケティングのための移籍もチラホラありますが、やはりそういった移籍よりも純粋に戦力として望まれた選手の契約に携わっていきたいと思っています。代理人の立場としては、どういった事情であれ、移籍は移籍なのですが、マーケティングのための移籍では喜びを感じるのは難しいでしょうね。

代理人という仕事に憧れる人も多いと思うので、何かメッセージをいただけますか。

いろいろな意味で難しい仕事ではありますが、まずは、海外の場合は言葉ですかね。あとは、海外のネットワークを如何に築くかが重要です。僕の場合は、ルーツがドイツにあったので比較的やりやすかったですが、それが一番大事なことだと思ってもらっていいと思います。

若月さんが代理人という仕事を選ばれたのは、どうしてだったのでしょうか?世界のダイムラー社なんかも辞めてしまって代理人になる、というのは思い切った決断だと思うのですが。

好きなことをやりたかった、というのが一番です。代理人はお世辞にも安定した職業とはいえませんし、ヨーロッパではダーティーなイメージすらあります。ドイツの友人からも「なぜそんな仕事を選んだの? 君はまじめだったのに」なんてことをよく言われました。ただ、どんな世界でも自分はクリーンにやっていっていると、胸をはれますし、海外移籍を希望する選手とそれを実現できる代理人の数のバランスがおかしい、つまり代理人という仕事にニーズがあるということもわかっていましたから。

最後に、若月さんの今後について聞かせてください。

若い選手の海外挑戦の手助けを今後もしていければなと思っています。今は全国の高校生や若い年代の日本代表の試合を実際に見に行って、面白そうな選手を探しています。自分が発掘した選手が海外で花を咲かせ、ゆくゆくは日本代表を背負っていくようになったら最高ですね。日本のクラブのヨーロッパ合宿をプロデュースする仕事もやっていきたいです。海外のクラブのスカウトの目にも留まりやすくなりますから。そして、ゆくゆくはクラブのマーケティング関係にも携わっていければなと思っています。僕はフランクフルトが地元なので、フランクフルトの大ファンなのですが、フランクフルトの経営戦略や選手補強のサポートが出来るようになったら素晴らしいことですね。

あとがき

欧州は、“移籍バブル”が続いている。今夏も何十億円という単位の移籍金が相次いだ。この全ての契約に彼ら代理人の仕事が存在している。素晴らしい選手が大舞台で戦うことはごく自然なことに映るが、それは若月氏のような代理人の影なる支えがあって初めて成り立つ。世界的な大手企業を辞めて不安定な好きなサッカーに身を投じた若月氏。自分の意志を貫き主体的に生きていることに感嘆した。「(移籍する選手が)新天地で活躍して欲しい」という彼の言葉は、海外への挑戦を夢見るサッカー選手は勿論のこと、向かうべき道が見出せずにいる方々に一人でも多く届けばと思う。

プロフィール

ケン 若月(けん わかつき)

1976年12月7日 東京都生まれ。
1977年 両親の仕事の都合で欧州へ。ドイツのフランクフルトで育ち、ドイツの小学校、中学校を経て1995年にインターナショナルスクール(高校)を卒業。
1995年 上智大学比較文化学科入学。
1999年 上智大学卒業
1999年 ドイツの経営コンサルティング会社へコンサルタントとして入社
2002年 三菱自動車へ転職(ダイムラークライスラー関係)
2004年 三菱ふそうへ転職(ダイムラークライスラー関係)
2005年 FIFA選手代理人ライセンスを取得
2006年 三菱ふそうを退社
2006年 スポーツマーケティング会社、WSM株式会社を設立。代理人としての初仕事でRBザルツブルグ側の代理人として三都主選手の移籍を手掛ける。

サッカー関係

1996年 ドイツで日本からのサッカー少年のためのサッカー教室の企画に協力
2002年 日韓ワールドカップの際、ドイツ民放テレビ局の通訳・コーディネーターを務める
2005年・2006年 バイエルン・ミュンヘンの日本ツアーに協力
2006年 ドイツワールドカップの際、テレビ朝日スポーツ局の取材へ協力


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