» 横浜FC強化担当が語る、横浜FCが見据える2008年
中学3年生でサッカーを始めました。最初は野球をやりながらサッカーをしてました。高校から読売クラブ、今で言うヴェルディのユースに入って、その後早稲田大学に進学しました。
そうですね。読売クラブのユースはとても強かったのですが、当時、サッカー推薦で大学に行くには、クラブチームではなく、高校サッカー部の全国大会で上位に入る以外は無理でしたので。
はい。実はそのまま読売クラブのジュニオール(19歳~22歳)でやっていくか、大学のサッカー部に入るか迷っていたんです。一応サッカー部の練習参加だけでもと思って行ってみたら、「お前が明日から練習に来なかったら1年生は毎日全員走らせるぞ!」的な半ば理不尽なことを言われまして(笑)。そういう経緯もあって、大学の部活でもサッカーにはまっていっちゃったんです。
「エリースFC」というクラブチームで5年か6年位やってました。リクルートでは中途採用の広告営業をやっていていました。時にはトップの成績をとったりもしてたんですよ。だから、サッカーばかりやってたわけじゃないんです(笑)。リクルートでは結局4年間営業をやって、それから日本サッカー協会に転職しました。
ずっとサッカーにまつわる仕事をしたいな、とは思っていました。たまたま大学の先輩が日本サッカー協会に勤めていて、ウチに来てやってみないか、と誘ってくれたんです。当時の日本サッカー協会は職員が30人程度しかいなくて、そんな中でワールドカップを招致しようと活動していた時期でした。
「行ってくれば?」みたいな感じでした。もっと、引き止めてもらえれば僕もうれしかったのですが(笑)。日本サッカー協会には、1995年から合計10年間お世話になりました。
最初は「事業部」という部署に配属されました。TV局や広告代理店とのやりとりなど、簡単に言うとサッカーに関係する「お金を稼ぐ」セクションでした。あとは、キリンカップや日本代表の試合、天皇杯など、試合の運営をやっていました。
エネルギッシュでしたよ。人数も30人程度しかいませんでしたし、うち7~8人は中途入社組で、若くエネルギーもあって堅苦しさも無かったです。「ワールドカップの招致」という目標もあって、全員モチベーションが高かったですね。ただ、会社組織としてのルールは未整備な面も多く、仕事上でも最初から最後まで一人で完結しなければ成り立たないことが多かったです。リクルート時代ではありえないことだったのですが、それがやりがいにもなりましたし、それも覚悟の上での転職でした。
「技術部」にいました。若年層の選手育成やライセンス取得などの指導者育成をメインでやってました。
DからSまでライセンスのカテゴリーがあるのですが、選手のうちにCやBまで取っておく、という人が多かったです。ただ、S級を目指すのは、Jリーグに関わっている人だけというわけではありません。高校の先生とか町のクラブチームの指導者などをされている方もいましたね。
もっといろいろなサッカー観を持った人が増えて欲しいですね。日本特有の組織的なサッカーだけでなく、野洲高校の監督のようにテクニックを磨いて個人のスキルで魅せるサッカーがあってもいいし、華麗なパスワークで勝負させる指導者がいたっていいし、個性や独自の戦略を打ち出したサッカーを展開していこうとする指導者がもっといてもいいんじゃないかな、と個人的には思っています。
すごく役立っています。サッカー業界の慣習やルールみたいなことも知ることが出来ましたし、何しろサッカー界の人脈が広がりました。
小野寺会長との出会いですね。小野寺会長から「新しくスクールを全国展開する会社を立ち上げる」という話を聞いたんです。当時の僕はライセンスもとっていまして、子供に教えることに魅力を感じていたタイミングだったので、まだ正式に誘われたわけでもないのに「やらせてください!」と言ってました(笑)。日本サッカー協会では幅広く仕事をさせていただき、次のステップに移りたいと感じていた時期でもありました。しかし、実際にサッカー協会を退職するまでの3ヶ月くらいの間に、「スクールの前に横浜FCの仕事をしてくれ」ということに話が変わっていました。でも、退職する気持ちには変わりありませんでしたし、新しいことにチャレンジできる気持ちがありましたので気持ちはすぐに切り替えることができました。横浜FCではもう2年半がたちました。
一言で言えば、トップチームはもちろんですが、ジュニアやユースを含めたチーム全体を強くすることです。実質トップチームに関わる仕事が9割ですね。ちょうどこの時期(インタビューが行われたのは2007年12月20日)は選手やコーチングスタッフの契約交渉をしたり、他クラブの選手を移籍させたり編成の仕事をします。シーズン中も、どこのポジションにどういった選手が必要なのかを考えて、他のチームの選手にアプローチしたり。契約や移籍の交渉で選手を口説くときに元営業だった経験が多少活きているかもしれません。
当時、スティーブンというスコットランド人選手がいたのですが、子供の病気でどうしても帰国しなければならなくなって、外国人枠がひとつ空いたんです。当時、高木監督体制でしたがJ2でいい順位につけており、昇格を狙える状態でした。そこで、タイミングよく京都(当時J1所属)から、アレモン選手の売り込みがあり、その交渉に応じました。結果、彼の加入、その後の活躍が昇格を後押ししてくれたので、非常に補強が当たったケースといえます。
翌年に契約しなかった理由が主に2つあります。1つがお金の問題です。アレモン選手の代理人が要求してきた金額は、われわれの払える金額ではありませんでした。もう1つは、戦術的な理由です。J2の戦いにおいて、ある程度自陣に下がった状態で守備をする戦術をとっていたので、ボールを奪った際に相手陣地の広いスペースで時間をかけずに攻撃するには、アレモン選手のようにスピードで相手を置き去りにできる選手は非常に効果的でした。しかし、J1ではスペースを与えてくれるチームはなく、プレッシャーを受けた状態で技術を発揮することが難しいという判断もありました。実際、J1に昇格した京都でほとんど彼の能力が発揮できなかったこともありましたので。
昨年の横浜FCについて語る関口氏の表情は厳しい。
しかし、その反省を踏まえたチーム作りももちろん行っている。
おっしゃるとおりだと思います。J2を制覇したシーズンはアレモン、アウグスト、チェソンヨン、スティーブンが活躍してくれたのですが、昨シーズンは上手くいきませんでした。選手の怪我が複数続いたこともありました。もっとも、そういうリスクをある程度承知の上で、編成したつもりでしたが、全体的な戦力の底上げがもっと必要であったと実感したシーズンでもありました。
先ほどの通り外国人選手の補強もそのひとつでしょう。また、選手層の薄さ。28人から30人ほどのグループ全員がほとんど変わらないくらいのレベルを保っていないとJ1で勝ち残っていくのは難しいと思います。そして、もう1つはチームが最後まで一丸になれなかったこと。ケガ人も続出し、外国人選手も入れ替わり、監督も交代と、シーズン中に人の入れ替えが激しくなってしまい、誰がリーダーシップを取ってやっていくのか、誰が縁の下の力持ちを引き受けるのか等といった内部の役割分担的なことを徹底することが最後まで出来ませんでした。
もちろんそのつもりです。まずチームが一丸になっていくことについては、都並監督は非常に重要視していますし、話し合いや情報共有等を徹底していこうと話しています。選手層についても同じポジションの選手に競争意識を植え付け、お互いに切磋琢磨して練習に取り組む意識がこれまで以上に芽生えていくと思います。
どちらも、やらなければなりません。都並監督を招聘したときも「1年でJ1に返り咲き、しかも今度はJ1で通用するチームを作り上げて欲しい」と伝えています。
山口選手や小村選手がチームから去ることは非常に寂しいですし、私としても正に断腸の思いでした。特に山口選手は自分と同じ学年ですので、この年になってもピッチを走る山口選手を尊敬しています。ただ、やはり試合の終盤には運動量が落ちてしまったり、怪我などのことを考えると限界を感じるシーンがあったのも事実でした。とにかく、今は彼らのように実績あるベテランが若手を引っ張って、チームをJ1という舞台に導いてくれたことに本当に感謝しています。
都並監督の仙台時代の教え子でもある中田選手を既に獲得しました。やはり、選手の選び方は監督によって全く違っていて、仙台では戦力外になっていた選手だったのですが、都並監督は絶対に欲しいと。移籍金もかかりませんでしたし、こちらとしては本当にラッキーでした。あとは、先日大学選手権を視察に行ったのですが、ある大学の左サイドバックにほれ込んでいました。他のクラブから見ればそうでもないかもしれませんが、都並監督に「理想のサイドバック」と言わしめた人材です。是非とも獲得したいと思っています。
J1昇格を今シーズンのゴールと位置づけるのであれば、守備を固めて少ないチャンスを活かしていくサッカーがリスクも少なく手っ取り早いのですが、昇格した後もJ1に定着出来るチーム作りを考えておりますので、攻守にアグレッシブなサッカーを目指して行きたいと考えています。もちろん守るときは守りますが、とにかくボールの支配率をあげて、積極的にゴールを狙うサッカーです。カウンター志向の強いチームからすればやり易い相手になる危険性もありますが、やはりJ1で通用するようにその下地を作っていきたいと思っています。前回J2を制覇したときは「ハマナチオ」とも呼ばれた堅い守備を活かしたリアクションサッカーを軸に戦いましたが、今シーズンは積極的にアクションサッカーを展開したいと考えています。
監督や選手が変わっても、クラブに脈々と流れる一貫性のあるコンセプトを継続することだと思います。もちろん、個の能力が高い選手をどれだけ集められるかを考えた場合、強化費にかける金額の大きさも重要な要素です。しかし、お金をかけた選手を集めたチームだけがいつも勝つのか、といえばそうでもない。そこに可能性があるから、サッカーがこれだけ世界中で愛されているのだと思います。その意味においては、われわれにも大きなチャンスがあると考えています。
エスパルスに所属していたアンデルソン選手の獲得も既に決まりました。ホーリーホックで1シーズンで17得点もした選手なのですが、エスパルスでは中々チャンスがもらえなかった選手です。彼には「得点王を狙え」と話をしています。あとは、ブラジル2部のクリシウマというチームのMFエリゼウ選手を獲得しました。
おっしゃるとおりコミュニケーションは本当に重要ですし、それと同じくらいサッカーについての考え方や価値観も重要です。今シーズンの外国人選手補強の失敗も、選手の能力だけでなく、その起用法、そこで生じるコミュニケーションのギャップがあったと思います。外国人選手は信頼して試合で使い続けることで、どんどん順応していくところがあります。日本人の持つ勤勉なところがかけるケースもあります。彼らからすれば、遠い島国に助っ人として期待されてやってきて、蓋を開けてみれば自分の居場所はベンチ、ではモチベーションが沸かないのでしょう。そういう点では、外国人選手は本当に扱いが難しいんです。だから、これからは出来る限り本人に直接あって話をしてみることが大切です。サッカー観、職業観、生活習慣や宗教の違いもあります。すぐに日本の生活に溶け込めるかも重要です。幸い横浜の鶴見にはブラジル人街的なところもありますので、他のクラブより友達なども作りやすい環境がありますからね。
そうですね。開幕前の練習試合の日程を組んだり、キャンプのスケジュールなんかを現場の意見を吸い上げながら決めています。
1月19日からグアムで1次キャンプがスタートします。暖かいところでサッカーが出来るフィジカルコンディションに戻すことが目的です。その後、東戸塚(横浜FCの練習場)で高校生や大学生など格下相手のゲームを何回かやって試合勘を取り戻します。さらに、香港に遠征し、4チームほど集まって競う国際大会に出る予定です。そして熊本で2次キャンプを張り、期間中Jリーグの3チームと練習試合を組みます。開幕前最後の2週間は毎週末に試合をやって、週末にコンディションをピークに持っていく目的で最後の仕上げとします。
他チームと選手の移籍に関する話し合いや、ケガをした場合のサポートから、選手登録の手続き、翌年の入団に向けたスカウト活動など多岐にわたります。J1昇格を見据えて、来シーズンも活躍してくれそうな選手を探しにブラジルにも行くことも計画しています。
もちろんライバルであることは間違いありませんが、全てのチームの強化担当は運命共同体といってもいいと思います。本当に困ったときに「いい選手いないかな?」みたいな話はしょっちゅうしてますし、ライバルである一方で、助け合って支え合っているという側面もあるんです。Jリーグのクラブというのは全国で33クラブしかありませんから、ヘンな噂はすぐに出回っちゃうんです。とにかく、下手なことはできません(笑)。
選手との契約交渉で、来季は契約しないことを伝える瞬間が本当につらいです。年俸を下げなければならないときもそうですね。本当はどんな選手であっても、同じチームの仲間としてやっていきたい気持ちはあるんです。しかし、チームとしても誰でもいつまでも繋ぎ止めておくわけには行きません。信頼関係を築くのは、難しいことを痛感しています。
ただ、選手も当然自分の置かれている状況は理解している部分はありますが、きちんと認識するまで時間がかかるケースもあります。
期待の若手と来期について語る関口氏。
その表情には自身と期待が溢れていた。
まずは、FWのチョ・ヨンチョルですかね。彼を初めて見たのは、彼が日本の大学に練習生として参加していたときに、たまたまその大学が日本代表と練習試合をしたのを見に行きました。彼はまだ高校3年生でしたが、日本代表のDFを何度も突破するプレーを見せており、すぐにアプローチしようとしたのです。ただ、既にほかのクラブも興味を持っており、練習にも参加させていたようです。絶対に獲得したかったので、ほかのクラブの練習から帰ってきたその日に捕まえて、「この書類にサインしてくれ!」と契約を迫りました(笑)。いつかはヨーロッパで活躍できる人材だと思います。あとは、菅野選手。ご存知の通り、2007年のJリーグ新人王にもなりました。彼のプレーについてはもう説明の必要はないと思うのですが、サッカー以外でも本当にしっかりした考え方を持っている若者です。契約交渉の場でも、Jリーグの規約をエージェント並みに理解しており、非常に理にかなった交渉をしてきます。おそらくサッカー以外の仕事に就いたとしても、成功できるでしょうね。ただ、時々生意気な発言をしてますが(笑)、でも、それも逆に言えば、自信の表れでしょうから。いつかは代表入りのチャンスもありえるでしょうし、どんどん成長していって欲しいですね。(その後、菅野選手は柏レイソルへの移籍が決定。)
いつも暖かい声援を送っていただいて、本当に感謝しています。これからもどんどんスタジアムに足を運んでいただきたいですね。それから、これはちょっとした情報なんですが、試合はもちろんなんですが、練習場にも足を運んで頂きたい、とも思っています。ごくまれに非公開練習になる場合もありますが、選手とコミュニケーションをとるには最高の場所です。入場料もかかりませんし、選手からサインをもらったりするチャンスもありえますし、おすすめです。
昨シーズンの横浜FCの冒険を待っていたのは、重たい現実だった。失意のJ2降格となってしまったかに見えたが、どうやら転んでもただでは起きない心構えのようだ。昨シーズンの反省をキッチリ活かし、それを踏まえたチーム戦略を準備していることがうかがえた。それにしても、関口氏が担う仕事の難しさや苦悩が今回のインタビューを通じてまざまざと伝わってきた。チーム不振の批判の矢面に立ち、非情とも思える決断を下さなければならない場面が幾度となくあったのだ。しかし、期待の若手や未来の横浜FCについて語るときの関口氏の表情は明るく、彼自身がチームの将来に自信を持っている姿がうかがえた。横浜FCの復活の鍵は、選手だけでなく関口氏のような裏方的なスタッフも握っているのだ。
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